プロジェクト始動。ターゲットを、誰に定めるか!?
久米:今回は、1995年に発売されたALBA SPOONについて語ります。この商品が生まれるキッカケは、当時人気があった他社のデジタルウオッチに対抗できる、若者向けのデジタルウオッチを生み出したいという会社の要望からでした。
和田:そうでしたね。社内の販売・製造・企画・デザインのメンバーたちが集められて、プロジェクトが始動したのが1994年でした。
久米:この仕事では、デザインの方向性を示すより前に、まずターゲットをどこに定めるかが重要だったのですが。チーム内で議論して分析を重ねた結果、私たちのチームが導き出したターゲットは「ヨコノリ系」。つまり、サーフィン、スケートボード、スノーボードなどを趣味にする若者たちでした。
和田:当時のヨコノリ系は、今とは違って、ちょっと不良っぽいイメージもありましたね。一方、プロジェクトメンバーに集められた人も、セイコー社内でややアウトローな人間が多かったのですが(笑)。
久米:確かに、そうかもしれません(笑)。
和田:この企画を進めていく上で特徴的だったのは、ターゲットの好みや価値観を知るために「グループインタビュー」を頻繁に行ったことでしたね。ヨコノリ系である若者たちに、こちらの考えを見せて、意見を聞いていくんです。
和田:インタビューが始まるのは、彼らが仕事を終えた後なので夜の24時とか。インタビューが終わると26時や27時になっていて。で、その後は毎回メンバーで「作戦会議」の名目で飲みに行く(笑)。
久米:若者たちの率直な意見を聞いて、時には腹を立てることもありました。でも、その一方で「ターゲットが本当に求めるもの」が見えてきたりもする。たとえば、ウオッチに対して「ぷっくりして温かいもの」というイメージを持っている人がいると知って、それがアイデアの起点になったりもしました。
和田:そういう意見も手がかりにしつつ、複数のデザイナーがラフスケッチを起こしていきました。
久米:5人くらいのデザイナーがラフを出して、その中から僕の案が選ばれました。でも、実はこれ、完全なオリジナルじゃないんです。第二精工舎(現在のセイコーインスツル)が1973年に発売したデジタルウオッチがあって、それを参考にしました。
和田:その過去の時計のエレメントを活かすことで、未来的でありつつ、でも懐かしさを感じる。そんな「レトロ・フューチャー」を目指したんですよね?
久米:そうです。あと、そこに当時のヨコノリ系が持っていた「俗っぽさ」や「危うさ」のニュアンスも込めました。目指したのは、グループインタビューを受けた若者が「いいですね」ではなく、「これはキてる!」「やられた!」と思わず声を上げるデザイン。
和田:きれいに整っただけのデザインだと、社内でも市場でも評価されませんからね。
久米:とはいえ、あまりにも斬新すぎるデザインだと拒絶されることも、ターゲットの声を聞くうちにわかってきて。ほどよく「遊び心」を取り入れた、やや端っこのものを作る。そんな感じでしたね。
ALBA SPOONのデザインを、いま改めて解剖すると?
和田:他社のデジタルウオッチが「外側に肉付けしていくデザイン」だとしたら、このALBA SPOONは「削ぎ落としていくデザイン」ですね。そこが他社のデジタルウオッチとの差別化だと思います。正面に見える、プリンをスプーンですくった跡みたいな凹みという特徴もSPOONという名前に込められています。
久米:確か、開発の途中段階では「ドロップ」というネーミングも候補でありましたね。水滴のような形状だから。
和田:このプロジェクトではデザイナーとしてという役割よりも、「久米さんの書いたスケッチをいかに具現化するか?」という立ち位置で動いていました。「この部分はピカッとしているんだ」とか「この部分はコロコロしているんだ」という久米さんの感覚的で難しいイメージを受け取って、それを実現する方法をみんなで考える。
久米:僕のスケッチは、ほとんど構造を無視して描いてるから。和田さんたちは大変だったかも(笑)。
和田:例えば、この液晶の周りを覆う赤い部分は、ハーダーマイト加工を施したアルミです。当時はまだ珍しかった素材で、その実現についてメーカーと何度も検討を重ねたことを覚えています。
久米:これは耐久性を高める目的もありつつ、「カラーバリエーションを展開するためのパーツ」という意図もありました。最初はレッドで、続編ではまた違う色にするってことも、当初から想定していました。
和田:この正面のガラスもかなり特殊なもので、厚さが約8ミリもあるんです。この分厚さのガラスを作ってもらうのも、なかなか大変でしたよ。
久米:この球面ガラスを使うことで、見た目にボリューム感が出る。プロダクト全体として、とにかく「丸っぽさ」を強調したかったんです。
和田:表示画面は「STN液晶(反転液晶)」という方式にしたのですが、これは当時の携帯にも使われていて、視野角を広くして視認性を高くするためでしたね。
久米:デザインが特徴的なALBA SPOONだけど、そのデザインを実現するための、技術的な工夫や苦労などが本当に多くあったんですよ。それがうまくいったのは、プロジェクトチームにいた、エンジニアたちの知見と粘り強さのおかげですね。
和田:そうだと思います。自分たちデザイナーと、エンジニアたちと、マーケティングなど各部門のメンバーが、自分たちの専門領域に没頭しつつも、ひとつの同じゴールを目指した結果だと思います。
「こんなの売れるのか?」が、売れた理由は?
和田:第一弾のモデルだけで100万本を売り上げて大成功したALBA SPOONですが、実は発売される前には、「こんなものを作って本当に売れるのか?」という疑問の声も社内にありました。
久米:正統派のウオッチではなく、それとはまた別の魅力を追求したのが良かったのかもしれないですね。他社のデジタルウオッチと比較してもまた違う。普通の時計と比べたら、かなりユニークなデザインだと思います。
和田:で、商品が売れたから社内で表彰されて。それでまた飲みに行って大騒ぎして(笑)。
久米:で、その後、続々とバリエーションを展開していくことになる。それもまた好評で、少年誌にも広告を打ってまた話題になって。どんどん人気シリーズになっていった。当時は模倣品も随分、出回りました。
和田:グループインタビューは、目の前で色んなことを言われて腹が立つこともあったけど、「なるほど!」と思うヒントも多くて参考になりましたね。その意見を活かしつつデザインを発展させることで、「ターゲットに楽しい驚きを与えられたプロダクト」になったと思います。
久米:僕は当時から趣味でサーフィンをやっていて。ある意味、僕もヨコノリ系だった。そういう意味で、インタビューを聞いていて「確かにそうだ!」と同感できることも実は多かった。
和田:なるほど。
久米:いろんなバリエーションを出したけど、個人的に一番好きなのは、ウレタンバンドを使ったこのモデル(品番APRA033)かな。理由は、最もシンプルだから。売り上げも、かなり良かったんじゃないかな?
久米:これ、画面を縁取るアルミに、わざと傷を付けてるんです。新品っぽさを消すために。でも、量産するのが大変だったんですよね。傷の付き具合に、個体差が出てきちゃうから…。
和田:もう一つ、印象に残っているものをあげるとしたら、1999年に発売された、某ミュージシャンとのコラボモデル。巷がミレニアムにわいている頃、2001年1月1日になった瞬間、液晶の時刻表示の代わりに「謎の表示」が発生するように、プログラムを仕込んでもらったんです。
久米:ありましたね(笑)。このALBA SPOONについて語りだすと本当にキリがないんですが。当時もまさにこんな感じで、若いみんながワイワイ言いながら、夜遅くまで語り合っていました。その「作ってる人たちが楽しんでいる感じ」がプロダクトにも垣間見えて、ターゲットに届いた部分もあるのかも?
和田:正統派のウオッチは、もちろん必要だけど。振り返ると、セイコーからは「遊び心やエッジの効いたウオッチ」が時折、飛び出してくるんです。そして、その遺伝子は、もちろん今も脈々と受け継がれています。セイコーから、人に刺激を与えるエッジの効いたデザインが、今後も生み出されようとしています。是非とも注目して欲しいですね。