2019年夏、銀座の中心で「虫の視点」を表現する。
2019年の8月に、銀座という街の象徴の一つでもある和光本館のショーウインドウで、グランドセイコーをテーマに展示を行いました。僕たちの通常業務であるプロダクトデザインとは異なる部分も多く、いろんな試行錯誤があり、多くの学びもありました。今回は、そのことについて語りたいと思います。
過去、和光のショーウインドウでは、さまざまな展示が行われてきました。本来ならそのデザインを取り仕切るのは、和光のデザイン企画部です。これまでウオッチデザイナーが、そこに深く関わることはなく、そういう意味でも、今回のプロジェクトはかなり思い切った取り組みだったと思います。
「デザイン部内でアイデアを募って、その中から採用作を決定する」という社内コンペの開催が発表されたのは、2018年の12月ごろ。テーマがグランドセイコーだということは、その時点で決まっていました。ディスプレイを行う2019年夏はグランドセイコー60周年の前年にあたるので、それに向けての機運を高めるという意味がありました。
参加を表明したデザイナーは20人くらい。そこから、3度のプレゼンを経て、自分のアイデアが勝ち残りました。提案したデザインのメッセージは、グランドセイコーの「細部へのこだわり」。コンセプトは「虫の視点でデザインする」でした。この「by Seiko watch design」のVol.1でも語られていますが、僕たちのデザインの単位は「100分の1ミリ」。まさに、虫の目のような細かさで、ディテールを作り上げています。
具体的には、1本1本職人の手で美しくカットされた針やインデックス、ダイヤルの表面の繊細なテクスチャなど。あらゆる部分に意味があり、細部へのこだわりがあります。そのことを伝えるために考えた手法は、ショーウインドウに「巨大なグランドセイコー」を飾ることでした。その窓を覗き込む人たちが、あたかも「虫の視点」になったかのように、プロダクトの細部が見えてくるという考え方です。
拡大したモデルは「SBGA211」。雪の風紋のような独特のテクスチャを持つ純白のダイヤルが特徴で、グランドセイコーの中で最も人気のモデルのひとつです。
ウオッチとショーウインドウの、デザインの違い。
「虫の視点」というコンセプトで、「拡大された時計」を見せるというアイデアの骨格は決まりました。でも、そこから表現の定着に至るまでには、多くの思考と検証が必要でした。まず僕が思ったのは、「ディスプレイの一部を動かしたい」ということでした。銀座を歩いている人は、ショーウインドウを見るために歩いているわけありません。その人たちの足を止めるために「動き」が有効だと思ったんです。
最初は、針とか、カレンダーの数字を動かしたかったのですが、相談したところ、それは技術的に難易度が高いことが分かりました。最終的に、デザイナーに見立てたテントウムシに握らせた鉛筆を動かすことにしました。実をいうと、このテントウムシもコンペの途中段階では、Vol.1のコンテンツ内の写真と同じように蝶でも良いかなと思っていたんです。でも、蝶って拡大すると意外とグロテスクなんですよね。だから、やめました(笑)。
さらに、テントウムシを人の目線より少し上に配置することで、近くからも遠くからも見える様に配慮しています。平面上で考えるともう少し上に位置する方が美しいのですが、あまり上に配置すると近くから見えなくなるとアドバイスをいただきました。そのあたりは巨大な立体物ならではの面白いところですね。テントウムシの色が、赤色ではなく青色なのは、このモデルの秒針のブルースチールを意識したものです。また、調べてみると、青いテントウムシは「幸福の象徴」ということもわかって、この色にしました。
巨大なグランドセイコーの手前には、巨大な虫メガネを置いています。狙いのひとつは「虫の視点」というコンセプトを明快に伝えること。もうひとつの狙いは「虫メガネを置くことで、その先にあるものをつい覗きたくなるのでは?」という考えでした。
巨大なウオッチの隣には実物のグランドセイコーと虫メガネを置きました。こうすることで大きさの対比が分かりやすくなり、「こんな小さな製品にこだわりが凝縮されているんだ」ということを直感的に感じてもらえると考えました。その付近にはQRコードも設置しました。リンク先に行ってもらうと、自分たちの時計づくりへのこだわりを、もっと深く知ってもらえるという仕組みです。
ショーウインドウの指紋で、「狙いが伝わったこと」を実感。
当初から、プロダクトデザインと空間デザインの「考え方の違い」は感じていましたが、武蔵部長にアドバイスを頂きながら、ディスプレイを手がける業者の方との打合せを進めるにつれ、未知なるジャンルに挑むことの難しさを、さらに痛感しましたね。
「どれくらい拡大した時計を作るか?」ということからして、そう簡単ではない。ウオッチデザインと違って、今回は物体をウインドウのサイズ内に収める必要があります。ダイヤル全体を収めようとすると、時計自体が小さくなってしまうので、迫力がイマイチになる。
検証の結果、針とインデックスが最も大きく見えて、かつダイヤルのテクスチャが人の目に留まる位置に、100倍に拡大したウオッチを配置しました。12時側から伸びたブレスレットの一部がウインドウ内に収まっていますが、実はこのブレスレット部分は、実際の時計を単純に拡大したものとは、実はかなり異なっています。
ブレスレットのパーツをそのまま拡大すると、むしろリアルに見えなかったんです。そこで、オーバーなくらいパースをつけつつ美しく収まるように配慮しました。これは普段小さなウオッチデザインをしている自分には思いもよらない気づきでした。
また、和光のショーウインドウは交差点に沿うようにカーブしているため、ディスプレイ上の制約が大きく、また搬入出も大変苦労しました。搬入口が小さいため、分割したパーツを作成してもらい、ディスプレイの中で接着して塗装するというアクロバティックな工程で作っていたり、カーブに合わせてどの位置からも迫力があるように配慮したり…。和光ショーウインドウならではのノウハウと、配置する上でのコツを教えていただきながら進めていきました。
ダイヤルをどれくらい傾けるか、という問題もありました。ダイヤルを垂直に近づけると、上から照らす照明に当たらないのでちょっと見にくい。あまり斜めに倒しすぎても美しくない。さらに言うと、「窓に注がれる自然光」との関係もある。その光の角度や強さは、朝と昼と夜で違ったりもする。ウオッチデザインでは考える必要がなかった懸案事項が、次々と出てくるんです。
このモデルの最大の特徴である、雪のようなダイヤルの再現も大変でした。実際のモデルでは、リューターという器具を使って表面を削って作っているんですが、最初は「カッティングシートを使ってどうにか再現できないか?」と考えていました。
でも結局、実際のモデルと同じように表面を器具で直に削ることが、最も忠実にテクスチャを再現できるとわかりました。元々のダイヤルにしかない味わいは、人の手でしか作ることが出来ないと改めて実感しました。その後も、その削り具合についていろいろ試行錯誤して頂いて、満足のいく仕上がりになりました。
同じデザインとはいえ、普段の仕事とは頭の使い方が違う感じで、いま思い返しても大変な作業でした。だけど、その中で小さな手応えを感じたことがありました。巨大ウオッチの隣の、プロダクトの現物が置かれているところに近づいてみると、ショーウインドウのガラスに手のひらや指紋の跡がとても多く残っていたんですよね。
それを見て、「巨大なウオッチに足を止めた後、実物のプロダクトに興味を持って覗き込んでくれたんだな」と思い、銀座を行き交う人たちの心を動かせたかなと、少しほっとしました(笑)。
今回の仕事も含めて、最近、エイプリルフール企画をはじめ、プロダクトデザイナーが他のデザイン領域やアイデア提案に取り組むことが増えてきました。プロジェクトに加わると、やはり新たな刺激があるし、デザイナーとしての視野も広がります。人に伝えることの難しさや大変さを知り、様々なアプローチの手法を考え取り組んでいくことが、セイコーのウオッチデザインにも活かされていくと思います。